端午の節句というのは、暦を均等に分けた節句のうちの一つで、
特に、これから梅雨を挟んで暑い夏となる頃合いなので、
食あたり水あたりに気をつけましょうねという、
気持ちの切り替えも兼ねており。
殊に、菖蒲の葉を飾ったり風呂や酒にひたすのは、
殺菌効果もあるけれど、
武家の刀に見立ててのこと、
勝負に勝つような強い男の子になろうねという、
懸詞からの意味合いもある。
こいのぼりの方は方で、
武家が、跡取りが生まれたぞと
世間へしろしめすのに幟を揚げたのを、
威勢のいいことよと一般市民も真似したがってのこと。
歳が長ずれば滝を上った末に龍になるという、
鯉の勇ましさをなぞらえておりますと誤魔化して、
幟の代わりに揚げたのが広まったのだとか。
「そうか、鯉って“出世魚”だったのか。」
「違うと判ってて言うとるだろう、お前。」
葉柱さんチには代々の嫡子誕生を祝ってのこと、
支援者の皆様から、
そりゃあ立派なこいのぼりが山のように送られて来たそうで。
そうは言っても、見本市じゃないんだし、
何頭も何頭も泳がせるのは、
見ようによっては偉そうにも映りかねないので。
ごくごく普通に、
それでもまま由緒ある一式を、
庭に立てた竿へと揚げるのが例年の習わし。
今年も屋敷の男衆が随分と頑丈な竿を立て、
それへよいしょよいしょと揚げられた大きなこいのぼりは、
結構な高みにいるはずなのに、大きいこと大きいこと。
「あれって地上に降ろすと何mあるんだ?」
「さあなあ。」
俺も昔ははしゃいで見てたが、
最近は揚がってから
おおそんな時期かって順番になっとるからなぁ、と。
「小さい頃は、
中にもぐりこんで迷子になりかかったほどでかかったが、
今見たらそれほどじゃあないんだろうし。」
懐かしい思い出を語った葉柱のお兄さんだったのへ、
「いやそれはどうかなぁ。」
それって全然大仰に聞こえねぇぞと。
2階の坊ちゃんのお部屋の窓から見やった大鯉を、
あらいにさばいたら何人分だろなんて、
相変わらず情緒も色気もない方へ換算していたトンガリ坊やであり。
「お前んチも揚げたんだろ?」
あの子煩悩なお父さんが、
こういうイベントを取りこぼすはずがないもんなと。
微笑ましい話題のように持ち出した葉柱だったものの、
「まあな、揚げたことは揚げたんだがよ。」
途端に、むむうと口許を不服そうにひん曲げた妖一坊っちゃんで。
「???」
「普通のでいいって言ってたんだのに、あの親父はよ。」
一見すると確かに普通のこいのぼりだったが、
吹き流しから黒赤青の家族を模した鯉たちまで、
風が止んでもそりゃあ元気に精力的に泳ぎ続ける不自然さであり。
『ああ。高見に言って、
本物の鯉の泳ぎをインプットした
躯体を内包してあるんだ。』
『はぁあ?』
筒状の、うろこの描かれた側生地の中に、
アクリル製の骨組みが仕込んであって、
コンピュータ制御でうねうね・ついついと、
生魚の鯉の泳ぎ方で空を舞ってたのだそうで。
「結構な豪雨の中を真っ直ぐ水平に身を立てて、
ぐいぐい泳いでる不気味さったらなかったぞ?」
「……それは。」
一目見たかったような、でもでも、
何か御利益があるというよりも
無理強いをしたことでの祟りがありそうな図だったそうで。
それを聞いてしまうと、
坊やの憂鬱顔にも同情したくなるものの。
“…………う〜ん。”
いやはや、どちら様も相変わらずだったらしいです。
〜Fine〜 12.05.08.
*すいません、今頃にこいのぼりのお話です。
ネタはあったのに書く手が間に合いませんでした。
ちなみに、
風がなくともうねうね泳ぐこいのぼりは本当にあります。
ただし、お座敷用の小さいタイプで、
五月人形の傍らに飾って丁度いい寸法のが、
うねうね・はたはた 泳ぐんだそうな。。
めーるふぉーむvv 

|